年収の壁の見直しについては、栃木県議会において、私が中心に作成し、何度も国へ要望(意見書提出)しております。
日本の制度の理不尽さには、学生時代から強い思い入れがあります。
私は大学時代、若い時の苦労は買ってでもしろ、の言葉通り、一切の仕送りを断り働きながら大学に通ってました。
当然ながら年収の壁など超え扶養から外れ、所得税も住民税も国民健康保険も払い、国民年金の請求も来てました。
仕送りで生活できる回りの多くの学生は扶養内で働き、バイト代も遊び代でした。
なぜ、私のような苦学生は生活するために130万以上働いたせいで、税金も保険料も年金も負担しなければならないのに、逆に、なぜ、働かなくても生活できる豊かな学生は全て免除されるのか。
制度を調べて驚きました。何なんだろう、この理不尽な制度は。
さらに、なぜ、豊かな親は子供の扶養控除で税金が安くなるのに、働く苦学生の親は扶養控除が消えて、税金が安くならないのか。
世襲ばかりで、生活に苦しむ国民の気持ちも知らず、全く制度も変えて来なかった国会議員たちに強い不満を抱き続けてます。
ちなみに、仮に178万になっても、私のような苦学生は壁を超えてるので税金、保険料は発生します。
壁など設けて、負担の有無を二極化してることが働き控えと不公平を生む原因です。
生活できないから働いてるんです。働き控えする余裕があるのは、生活に余裕があるからではないでしょうか。
技術は格段に発達してます。
壁など撤廃して、一万円単位で所得を階段にして、累進にすればいいだけです。
国会議員と官僚は目先の財源ではなく、国民が働くほど豊かになる仕組みを作るべきです。
「努力した報われる社会に」というのは学生時代の経験から来る強い思いです。